日武鉄道の誕生と概要

日武鉄道とは、東京下町を創業時のターミナルとし、日光街道沿いから北関東に主要路線を広げ、池袋からも幹線を伸ばす空想上の鉄道です。そう、東武鉄道がモデルです。

現実の東武鉄道の路線はすべて所有しているほか(路線案内参照)、浅草から東京へ、竹ノ塚・大師前から下板橋へ(西板線)など、東武鉄道の拡大版ともいえるでしょう。

 

最初の動機は、地元を走る東武日光線を考察し始めたことでした。東武日光線は、伊勢崎線の東武動物公園から、東武日光までを結ぶ東武鉄道の主要幹線で、沿線の東京方面通勤路線・生活路線であるとともに、日光への観光輸送を担っています。ダイヤの面では、観光輸送の調節などに特徴がみられたり、東京への流動があながち多いにもかかわらず系統分割されているなど、思考すべき点がたくさんあり、また、車両の面では、観光特急にふさわしいものや、輸送量の減少に伴う両数調節やワンマン化の可能性など、こちらも課題がたくさんあります。そういったことを考えていくと、ゆくゆくは東武線全体の理想の姿を想像するに至ります。

次の動機は、車両デザインに対するこだわりがあったということです。もともと小さい頃から絵をかくのが好きで、東武電車の絵もいっぱいかいてきました。そして、高校生のころに一つの特急型車両の顔のデザインが浮かび、洗練されていきました。この顔のスタイルを、模型化したり、どこかで生かせないかと常々思っていました。当初はオリジナルの電気機関車として思い浮かべていました。

 

この二つの動機が合体した結果、東武鉄道をハード・ソフト両面において自分なりに再構成した「奥日光東武蔵鉄道」(おくにっこうひがしむさしてつどう)として、具体化するに至りました。長い名称を短縮して、現在に至ります。

 

日武鉄道の構成において主眼とするところは、1.すべての線区において対東京需要を反映させる、2.直線を生かして、それなりにスピードを重視する、3.利益確保の前提で、多様なニーズにこたえる、4.現実ではなしえなかった東武鉄道の未成線・計画線・複線化を敷設したという仮定において運営する これら4点です。現実の東武鉄道のイメージや戦略、企業風土を尊重したうえで、既存路線のバランスを壊さずにどれほど強力な北関東私鉄網が築けるか、というのが日武鉄道の挑戦するところだと思います。

 

現在(2016年秋現在)のところ、日急電鉄さん等乗り入れ先の方と協力しながら、ダイヤ調整など進め、また、現実の東武鉄道車両の延長という形で、新型車両を計画・発表しています。

 

会社概要

設立日

1897年(明治30年)11月1日

 

資本金

1021億35百万円

 

決算期

3月31日


本社所在地

東京都足立区 千住付近